■誰も知らない (是枝裕和監督  柳楽優弥 主演)

・・・悪いのはそれでも母親ですか

都会の片隅に母親に置き去りにされーこの日から誰も知らない4人の子供たちの「漂流生活」が始まる…。

このようなキャッチフレーズと、主役の少年がカンヌ映画祭で最年少にして主演男優賞を受賞したという話題で知られている映画です。
1988年に実際に起こった事件をモチーフに、少年事件や虐待など現代的なテーマが盛り込まれて見る人をどんどん引き込んでいきます。
子どもを育てたことのある人なら特に胸に突き刺さる言葉、しぐさも多いと思います。

是枝監督は「この映画をみて、今まで子どもを見過ごしていた大人達の目が少しでも子どもに向けばいいなと思います」とインタビューで語ってらしてましたが、全くそのとおりだと思うんです。大人は子どもに無関心ではいけないんです。

現実に起こり、巣鴨子供置き去り事件と呼ばれる事件を下敷きにしているだけに、説得力もありますが、はやり映像化という点では現実の事件よりは綺麗な話になっているとは思います。しかし、実際の事象に我々市民が触れるということはプライバシーの問題等 もあり難しいことです。
こういった映画、創作物を通して少しでも理解の幅を広げることがせめてものできることではないかと思います。

映画の中には色んな問題点がちりばめられていました。
パチンコ屋の駐車場で車の中で置き去りにされている子ども、「俺はちゃんと避妊してたから、お前の妹は俺の子どもじゃないんだよ」と平気な顔でいってのける母親の元恋人、水道も止められ、洗濯もできず、酷くよごれたシャツを着ている子どもに無関心な町の人々。
「役所に相談した方がいいよ」それだけのことしか言えない大人。
あと少しの関心さえこの子達に与えられたら、違う道が開けたことでしょう。

実際の事件では、映画では描かれていませんが、母親が置き去りにした子ども達の存在は末妹の死によって明るみにでます。
少年達の家に居座るようになった友人達によって殴られ、蹴られ衰弱して死んでしまったそうです。
今まで親代わりになっていた長男の手で山中に埋葬されますが、発見、その後ニュースをみた母親が「自分の子では?」と申しでたという事です。

週刊誌はこぞって「鬼母」などとかきたてたそうです。
それぞれ父親の違う子どもを5人(映画では4人)を産み、誰一人として出生届も出さずに、挙句に恋人ができて長男に全ての子どもを押し付け出て行った・・それだけでマスコミの攻撃を十分にうける素材をもっています。

しかし、確かに母親に罪があるとしても、彼女だけが責められるべきなのでしょうか。
母親の前に、父親が母親と子どもを捨てているということには焦点があてられていません。映画の中の母親は一生懸命に働いていました。一生懸命、自分と小さな子ども達の家庭を守ろうとしていたようです。深夜、まだ若い母親の元には自分の友人から遊びの誘いの電話がかかってきますが、「今はでれないよ」と悲しげに返事をしています。
(自分の子どもだけど、自分ひとり我慢して育てていかなくちゃならないのはなぜ)
そんな気持ちが沸かないわけがありません。

行政に相談するという手段もあったはず。身近な人に相談するという手段もあったはず。でも、渦中の母親にはそんな考えも浮かばなかったし、手を差し伸べてくれる人がいてもそれを握り返す力はなかったのかもしれない。

長男がある程度成長すると、弟妹達の面倒をみてくれるようになった。
そこに新しい恋人ができた・・・彼に「自分には子どもがいます」ということもできず、置き去りにするしか母親は思いつかなかったのでしょうか。

4人の漂流生活はおにいちゃんががんばって支えていました。そのことはそれまでの母親の子どもへの接し方が反映されているのではないかと思います。
母親が虐待ばかりしていたら、きっと長男は弟妹達を虐待の中で育てたでしょう。
彼はそうしなかった。それは母親が、最後までマットウしなかったとはいえ、きちんと子ども達を育てていたからにちがいないとわたしは思うのです。

映画の中で母親が郵送で現金を送ってくるシーンがありました。
「お兄ちゃん、頼りにしてるわよ」という丸文字のメッセージに長男は絶望をみたと思います。このシーンは痛かった。必死で弟妹達を守る長男はまだ守られるべき幼い少年なのに。その荷を全て負うにはまだまだ小さな存在なのに。

この映画の主題歌の歌詞に「異臭を放つ宝石」のがありました。彼をあらわすのに他にはないほどのふさわしい言葉だと思いました。
もし、コンビニの店長が、大家が、彼らの生活に疑問をもってくれたら、近所の人が、「あの子達大丈夫なの?」と思ってくれたら、実の父親が戸籍を作成してくれていたら・・・
ここにもたくさんの「たら」「れば」があります。
私たちはこういった創作物を通して「たら」「れば」を現実のものにしていかなければならないような気がします。

あなたがコンビニの店長だったら・・大家だったら・・という想像力をめぐらせる訓練ははいつか誰かを「たら」「れば」から救うことにつながるでしょう。

この映画で児童虐待の一つの分野 ネグレクト(育児などを放棄する)という事象に光があたりました。それはすばらしいことです。
しかし、少々気になることがあります。

あるDV関連の講座で聞いたことですが、
「大部分が男性で構成されるマスコミでは、DV配偶者や恋人による暴力を扱い、取り組むことは社会の変革や男性の意識変革を伴うことが不可欠となり、それは男性としては痛みをともなうそうです。しかし、児童虐待は大半が母親である女性がかかわることが多いので男性にとっては扱いやすい。」とのこと。

児童虐待が表ざたになるのは解決の方法としてまったく前向きですが、母親をバッシングすればいい・・という先入観があるという意見はできれば杞憂であってほしいと願います

「誰も知らない」公式サイト http://www.daremoshiranai.com/

[04m01]


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